3月3日

 あしたはダンスレッスンいってくるですよ。藤原ノリカ級のダイナマイトボディを維持するためにね。

 サルサとは:

 サルサはもともとニューヨークで生まれました。
 1940、1950年代、ペレスプラード、マチート、ティトプエンテなどによって、世界的なマンボブームが巻き起こりました。また、同じ頃、エンリケホリンによってチャチャチャが生まれました。
 アメリカの植民地であったキューバは、観光地として発達し、ハバナ(キューバの首都)は、カリブ海最大の歓楽街となり、多くのアメリカ人が遊びに来ました。もともとマンボは、ダンソン(キューバの宮廷音楽)や、ソン(ブエナビスタのやつ)が元になっていた性もあり、その頃、キューバのミュージシャンたちは時代の最先端を突っ走っていました。

 しかし、衝撃事件によって、ミュージシャンは路頭に迷います。

 1959年、キューバ革命が起こりました。これが原因で、キューバは社会主義国として独立し、アメリカとの国交を断ち、犬猿の仲となってしまいます。
 キューバ革命中に世界ツアーをやっていたラテンの女王「
セリアクルース」は、自由を捨ててキューバに帰るか、家族、財産などすべてを捨ててアメリカに亡命するかの究極の選択を余儀なくされました。その後、彼女はニューヨークを中心に活動し、50年以上にわたって世界的ヒットを飛ばして最前線で活躍しています。また、グロリアエステファンも2歳のとき、家族でマイアミへ亡命します。
 たくさんのキューバ人がアメリカに亡命しました。

  そして、ニューヨークはマンボブームが落ち着き、新しい音を探り始めましたが、キューバ人がいません。しかも、キューバ人がいないだけでなく、キューバの文化そのものがニューヨークに入ってこなくなってしまったのでした。

 また、おなじころ、プエルトリコ(アメリカ領なんですよ)から、これまたたくさんの移民がニューヨークに流れ込んできました。プエルトリコだけでなく、ドミニカ共和国、パナマ、ベネズエラ、コロンビアなど、スペイン語圏の移民がたくさんニューヨークに来ました。
 そして、キューバなしという状況の中、移民たちは新しい音楽を作ろうといろいろ模索し始めました。これが1960年代。

 そして、彼らは当時流行っていたソウル、モダンジャズ、ロック、ブラジル系など、いろいろな音楽とラテンを融合させていきました。そして、その結果、今までのマンボやチャチャチャ、ソン、ルンバなどとは似ているけれども、より歌謡曲チックでソウルフル、ソロが派手めでダンサブルな音へとゆっくり進化していきました。

 こうして、いろいろ混ざり混ざって1970年ごろ、ごったにで煮詰まったソース音楽ができあがりました。このソース音楽こそサルサです。サルサの発展過程では、キューバ人はセリアクルースぐらいで、おもにプエルトリカンが中心となっています。

 そのご、当時のトップクラスのミュージシャンたちで、ファニアオールスターズというバンド(のようなもの)ができあがります。セリアクルース、チェオフェリシアーノ、ティトプエンテ等を看板に、このドリームバンドは前代未聞の強烈な軌跡を残し、1980年ちょい手前ごろ解散しました。

 1980年代、サルサブームも一段落してしまい、America is NO.1的な文化に負けてしまいそうでしたが、新しい世代ががんばります。マイアミサウンドマシーンが登場し、ラテンポップス、ラテンディスコというジャンルが確立し、世界中を巻き込む巨大ブームになりました。また、1990年ごろ、プロジェクトウノがヒットし、一時的にメレンゲブームが起きます。メレンゲとは、ドミニカ共和国の音楽で、「太鼓でオネエハウス」的なものです。

 1990年代初頭、サルサブームが再燃します。ラフィーメルカード氏がRMMレコードを立ち上げます。彼は、ニューヨークの大物ラテンミュージシャンと次々に契約し、また、プエルトリコやドミニカ共和国などに住んでいる実力ある若手ミュージシャンを次々にニューヨークのシーンに登場させます。
 セルヒオジョージ氏や、リッキーゴンザレス氏などの名プロヂューサを中心に、小室ファミリー状態でRMMレコードは快進撃を続けます。

 2000年チョイ手前、グロリアエステファンのさらに強烈なヒット、リッキーマーティン、DLGなどの大当たりで、ソニーディスコが力をつけてきて、RMMはちょっと最近落ち目になってきてしまいました。最近のサルサはソニーの方がすごいかもしれません。

 また、コロンビア、ペルーなど内陸のラティーノスがとても元気いっぱいで、内陸サルサやクンビアといった、内陸サウンドも必ずクラブでかかっています。

 2000年6月、世界一有名なプエルトリカン、ティトプエンテ様が死んでまいました。これはアタクシにとって、鈴木その子先生が死んだときよりショックでした。
 ラテンビッグバンドという、マンボ時代からのひとつのスタイルが終焉したという感じがしました。

 社会主義崩壊、冷戦の終了などが起きてから、アメリカでもアンチキューバ的なことを全員言うわけではなく、仲良くやろうよというムードが出てきています。(いまだに強度のアンチキューバはいますが)

 現在、アメリカでは、キューバが大注目となっています、というか、キューバ音楽がアメリカを中心に世界的にヒットしているのです。驚き。
 それまで、ロスバンバンぐらいしかキューバ革命以降のキューバ音楽は注目されていなかった(というか、外へ出なかった)のですが、グロリアエステファンが積極的にキューバ音楽を取り入れたり、ブエナビスタの大当たりなどがあり、特に、古きよきキューバサウンドが注目を浴びています。ダンソン、ソン、ボレーロ、チャチャチャ、チャランガ、優雅な音楽です。

 そして、面白いのが、ラテン音楽の相互乗り入れ。ヒップホップなどの文化がキューバへ、国交断絶中に発達したキューバ音楽がアメリカへ。また音楽が混ざり合って、新しいサルサができようとしています。

 ティンバというジャンルがこのごろ流行っています。もともと、国交断絶中にキューバで育ったサウンドです。キューバとマイアミはとても近いので、国交断絶中も、キューバ人はマイアミのラジオを聞いていました。そして、ラジオから流れてくるアメリカの音楽を自分たちのノリで取り入れていっていたのでした。
 それは、とても独特な育ち方をしていて、サルサに似ているのですが、もっとドスの効いた腰砕かせサウンドで、計算し尽くされた不意打ちにノックアウトされます。そのため、サルサドゥーラ(ハードなサルサという意味)とも呼ばれています。
 アタクシもティンバをやってみたいですが、難しすぎてできません。

 CDは、ラテンの女王「セリアクルース」を取り上げてみました。