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報徳二宮神社

栃木県今市市今市743
TEL/FAX(0288)21-0138

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二宮尊徳とは?

  • 江戸後期の実践的農政家。
  • 農民から幕臣となり、報徳仕法によって藩の財政再建、農村復興を次々と成功させました。
  • なお、尊徳が農村復興のために取った方法を報徳仕法、その中核にある思想を報徳思想と呼ばれています。
⇒関連書籍について

 

         

二宮尊徳の歴史

●幼少時代

二宮尊徳(金次郎)は天明七年(1787)、
神奈川県小田原市栢山(かやま)の裕福な農民の子として生まれました.

しかし、幼少時に生家は没落、
両親とも死別して、 伯父の家で肩身の狭い思いをしながら「論語」「大学」「中庸」等を独自に学びました。

薪を背負い、本を手にした少年金次郎(本来は金治郎)のイメージはそのころのものです。

勤勉と倹約に努め、二十四歳で一家の再興を果たした金次郎はその才能を認められて、

小田原藩の家老服部家の財政建て直しや
藩領下野桜町(栃木県二宮町)などの
荒廃の復旧に成功し、


この経験を元に独特の農法・農村改良策(報徳仕法)によって
小田原・烏山・下館・相馬藩等の凡そ600の農村や藩を復興、貧困から救いました。

やがて、水野忠邦によって幕臣に登用されてからは日光神領の復興に尽力しました。

生産力に応じた分度を定め。勤倹を説き、その結果としての富を推譲(譲り合う)

という社会的行為に導く報徳思想を広め、
尊徳没後も多くの優れた門人によって、幕末から明治前期にかけて各地に報徳社運動を進め、
農村の振興に貢献しました。

晩年は今市に移り住み、荒れ地の復興に尽力。
二宮堀、二宮林をはじめ、多くの事業を展開しました。

村づくり、人づくりに力を注ぎ、安政三年(1856)今市役所にて70歳の生涯を閉じました。

明治10年代には政府よって注目され、

門人の手による「報徳記(富田高慶 著)」「二宮翁夜話(福住正兄 著)」

相次いで天皇に供され、
尊徳が政治体制を変化させずに農民の勤勉と倹約によって荒廃した農村を立て直した人物として理解され1889(明治22)年に従四位を追贈されました。

尊徳の教え、弟子たちによって報徳運動として引き継がれ、
その成果は今でも脈々と生き続けています

 


報徳社について⇒ 

 

二宮尊徳年表

年号 西暦 主な出来事
天明七 1787年 現在の今の神奈川県小田原市栢山に生まれる。
寛政十 1798年 父利右衛門が病気で倒れたため、代わりに酒匂(さかわ)川の土手の工事にでる。(わらじ推譲の逸話)
寛政十一 1799年 杉苗を買って、酒匂川の土手に植える。
享和三 1803年 菜種をまいて、勉強するときに使う油をとる。捨てられた苗を植えて、一俵の米をとる。(積小為大の理)
文政元 1818年 小田原藩(神奈川県)家老服部家の財政建て直しを引き受ける
文政二 1819年 大久保忠真の命により、下野国桜町領(栃木県、旗本・宇津氏所領〕の仕法開始。
文政三 1820年 岡田波子と結婚
小田原藩の年貢取立用のとます斗枡の改良。また借金にあえぐ藩士のために1500両の低利資金融資を藩主からとりつけ、「五常講」をはじめる
文政四 1821年 小田原藩大久保忠真の命により、下野国桜町領(栃木県、旗本・宇津氏所領〕の仕法開始。
文政六 1823年 家族とともに桜町領(栃木県二宮町)に移住、実質的な建て直しに取りかかる。
文政十二 1829年 桜町仕法にトラブル頻発。成田山で断食。帰省後は円満に進行。
天保四 1833年 細川藩[谷田部(茨城県筑波郡〕・茂木(栃木県芳賀郡)、細川長門守・所領]の仕法開始。
天保六 1835年

天保の大飢饉、関東・東北でピークに。 なすの味から、凶作になるのを予知し、ひえ・あわなどを作らせ、備えさせる。
矢田部藩仕法開始。

天保七 1836年 天保の大飢饉(ききん)が起こる。烏山藩[栃木県・大久保佐渡守一所領〕仕法開始。天保の大飢饅、全国規模となる。
天保八 1837年 大久保忠真に命により小田原の飢民救済。二宮町の建て直しが終了。
天保九 1838年 大久保忠真・所領仕法開始。藩の建て直しを行う。
天保十 1839年 冨田高慶入門
天保十三 1842年 幕府に登用(御普請役格)
弘化二 1841年 斎藤高行・福住正兄入門。
相馬藩で仕法開始。
弘化三 1846年 日光仕法雛形完成。江戸で発病。
嘉永六 1853年 今市を含めた日光神領の建て直しに取りかかる。
安政三 1856年 10月20日、今市で亡くなる。
高慶が『報徳記』著す
   

関連書籍

    二宮尊徳について
   富田高慶について    


   
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