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報徳二宮神社

栃木県今市市今市743
TEL/FAX(0288)21-0138

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富田高慶について

  • 尊徳の高弟。4大門人のひとり。
  • 『報徳記』の著者
  • 尊徳の片腕として、報徳仕法をささえ、日光仕法、相馬仕法に従事。
    相馬藩の仕法は、最も成功したものに!!

 

         

富田高慶の歴史

富田高慶は文化11年(1814)奥州中村藩相馬家の藩士齋藤嘉隆の次男として生まれました。

聡明で気概があったため若くして藩公子(充胤)の近侍に選ばれましたが、
藩の復興の志を持って、17才の時に江戸に上京。
儒学などを学びましたが満足がいかず、二宮尊徳のうわさを聞きつけた高慶は、天保10年(1839)6月1日、26才の時に入門しました。

そして尊徳の片腕として活躍するようになり、
報徳仕法をささえ、日光仕法、相馬仕法に従事しました。

また、嘉永5年には尊徳の愛嬢文子と結婚。
公私共に二宮家と縁が深く、尊徳没後は後継彌太郎尊行・孫の尊親を助け
二宮家とともにの相馬に移住しました。

相馬では、仕法の責任者として指導するだけでなく、明治維新のさいには
藩を勤皇に導き、明治2年には相馬藩家老上席・政治総裁となりました。


公的な仕法中止の後は、復興社を設立してその活動は、
あとをついで社長になった高親による北海道開拓へと引き継がれていきました。

今市報徳二宮神社が創建されると尊行と共に二宮尊徳翁の霊に配祀せられ
また後従五位を贈られました。

⇒もっと詳しく!! 二宮尊徳について

報徳記について

  • 全8巻
  • 尊徳の人物・思想とその実践活動を記した伝記。
  • 明治天皇奏覧、絶賛いただく
  • この本によって二宮尊徳のイメージが固まり

当初は弟子たちの間で、薄紙に敷き写しで徐々に門下に広まり、二宮教学の宝典とされていました。


明治13年10月、相馬充胤子爵(旧相馬藩主)によって浄写、
明治天皇に奏覧せられたのをきっかけに、 明治16年12月、宮内省において和装8巻として印行されました。

ついで1885(明治18) 『報徳記』と『報徳論』農商務省より刊行、
全国の官公吏に読ませ、 1890(明治23) 『報徳記』と『報徳論』大日本農会より刊行、

一般国民の愛読書として広く全国の家庭・学校に普及し、
広く読まれることとなりました。


       

関連書籍

    二宮尊徳について
   富田高慶について    


   
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