■ 文楽 ■
 
脚本に多くの文学上の傑作が生まれた人形芝居
 
 文楽は脚本に多くの文学上の傑作が書かれた、世界で唯一の人形芝居であるかもしれません。
 文楽を構成する三つの要素である脚本と人形と三味線のうち、最も重要なものは脚本であり、この点で脚本は芝居をする手段に過ぎない歌舞伎とは根本的な相違を示しています。文楽の脚本は役者のためでなく語り手のために書かれているのです。
 文楽では脚本を語る太夫が人形遣いや三味線弾きよりも上位に位置し、普通は脚本を語る太夫次第でその興行の性格が決まるといわれています。
 文楽というのは比較的最近にできた名称で、古くはこの種の人形芝居は浄瑠璃と呼ばれ、これは十五世紀に書かれた『浄瑠璃物語』の女主人公の名前を取ったものです。
 日本における人形芝居の歴史は古く、八世紀には人形芝居を指すためにクグツという言葉が使われていたことがわかっています。この言葉の語源は明らかでなく、中国の傀儡子だという説もあれば、ジプシー語のクキ、あるいはククリからきているという説もあります。しかし日本の人形芝居が外国からきたという説には、確証といえるものはまだありません。
 古くは儀式として行われていた人形芝居が、やがて劇の形をとるようになり、見物人を楽しませるための興行となりました。 そして十六世紀の半ば、語りと三味線、人形劇という三つの違ったものが一つになって、文楽が生まれました。
 文楽が最初に行われたのは京都でしたが、一七世紀の初期には江戸で著しい発達を遂げました。
 文楽が大阪と結びついて考えられるようになったのは一七世紀後半からで、それは1657年の江戸の大火が原因で、主な太夫たちが上方に移ったことによります。このときから江戸の演劇界では歌舞伎が君臨することになりました。
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