桓武天皇の平安遷都によって平安時代が幕開けしましたが、実はこの平安遷都には、怨霊調伏の目的もあったということはご存知でしょうか?その怨霊とは早良親王。桓武天皇の同母弟で、皇太子になったものの廃され、延暦四年(785
)、淡路島に配流の途中で断食絶命した、悲劇の親王です。彼の遺体は、そのまま淡路島に送られ葬られました。
ところが、同十一年、新皇太子の病は親王の怨霊によるとの陰陽寮の卜占があり、さらに桓武妃の死が続くことで、にわかに親王の怨霊の噂が高まります。種々の鎮魂がなされましたが、桓武天皇は、ついに親王ゆかりの長岡京を捨てて平安京に遷都することを決断します。遷都計画が立案されたのは、早良親王の怨霊出現の翌年(793
)の正月でした。実子を皇太子にするために実弟を死に追いやった桓武天皇の、怨霊に対する恐怖心は、相当なものだったのでしょう。
流血の平城京、長岡京を捨ててもまだ心休まらない桓武天皇は、平安京をさらに堅固に守るために、怨霊の出入り口である東北を呪術的に封じています。延暦寺、鞍馬寺、貴船神社を配したのがそれであり、御所の背後や周辺には、強力な鬼神を奉る大将軍社を置きました。現在の御所の築地塀で、鬼門にあたる猿が辻の部分でへこんでいるのも、鬼門封じのためです。 |