■ 歌舞伎 ■
 
「歌舞伎」ではなく「傾き」から始まった
 
 歌舞伎の成り立ちは現代の漢字であらわすような「歌舞伎」ではなく、「傾き」、つまり常人とは異なった風体をしたり、行為をすることの意味だったといわれています。
 この「かぶき」という文字が最初に見られるのは、『当代記』という書物の慶長八年(1603年)の箇所で、そのころ阿国という女性が男装し「かぶき踊り」というものを踊ったと書かれています。
 阿国のかぶき踊りに刺激を受けた京の遊女たちにより、かぶき踊りをまねた女歌舞伎が行われるようになりますが、風紀の乱れを原因に、女歌舞伎は1629年に禁止されます。
 代わって全盛を向かえたのが若衆歌舞伎でした。これは十三、四歳のまだ前髪をつけた少年たちに薄化粧を施し、風流踊りを踊らせたものであったようですが、やはり好色をふりまいた廉でたちまち禁止されてしまいます。
 その後、女性と少年を出演させないことを条件に、幕府は歌舞伎上演の許可を与えます。これが野郎歌舞伎であり、現在の歌舞伎の源となっています。
 こうして好色を離れた野郎歌舞伎は、芝居の内容で観客を集めなければならなくなり、立役、女方、敵役などの役柄が発生します。元禄期には江戸の市川団十郎、京阪の坂田藤十郎、女形の芳沢あやめなど、多くの名優を輩出しました。

参考文献『歌舞伎』和角 仁著
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