■ 楠木正成 ■
 
奇策で敵を翻弄
 
 戦前まで「楠公(なんこう)」と親しまれた南北朝時代の武将・楠木正成が歴史の世界で活躍したのは、たった五年に過ぎません。1331年の赤坂城の挙兵に姿を現した正成は、1336年、湊川の合戦で戦死して、姿を消します。
 歴史に登場した期間が短いのにもかかわらず正成が国民から敬愛されてきたのは、後醍醐天皇に対する彼の忠誠心のためでした。
 後醍醐天皇の笠置挙兵に呼応し、赤坂城で幕府の大軍を迎え撃った正成は、敗北したもののその奇想天外な戦法で、戦略家としての名を一躍高めます。その天才的な奇才が最も発揮されたのは、千早城に篭城し、わずか千人の軍勢で幕府の大軍を釘付けにしたときでした。
 このときの戦法がつぶてを打ったり、野伏を巧みに使うといった、いわばゲリラ戦法でした。刀や槍でわたり合うといった定式を無視、城の上から大きな石を転がしたり、熱湯を振りまいたりもしたとか。
 こうした戦いぶりから、正成は名のある武将の血を引く者ではなく、当時「悪党」と呼ばれていた土豪の出身ではないかと推測されています。
 常識にとらわれない新しいタイプの武士といえる正成も、忠義を重んじるという点では筋金入りの古強者でした。湊川の戦いに討死覚悟で出陣した正成は、後醍醐天皇に忠誠を尽くし、弟正季ら一族郎党と壮絶な最期を遂げました。
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