■ 菅原道真 ■
 
陰明師より強い?平安朝最強の悪霊
 
 菅原道真は今や学問の神様として有名ですが、平安時代には最強の怨霊として、人々を震え上がらせていました。
 菅原道真は学問の家の出で、早くからその秀才ぶりを表していたようです。やがて宇多天皇にその才を認められ、右大臣にまで出世しますが、藤原氏でない者がそこまで官位を登りつめるというのは異例のことでした。しかしその後、左大臣・藤原時平を中心とする勢力の策謀により、ついに失脚し九州に追いやられます。追放の理由は宇多上皇を欺いて天皇の廃立を謀ろうとした、ということになっています。そして彼は九〇三年、九州で失意の内にその生涯を閉じるのですが、その数年後から中央政界で次々と不幸な事件が起こるようになったのです―。
 まず九〇九年に道真のライバル、左大臣藤原時平が三九歳の若さで死んでしまいます。彼は道真を政権の座から追い落とした張本人でした。続いて道真の後釜に右大臣の座に就いた源光も死亡し、さらに九二三年、醍醐天皇の皇太子保明親王も21歳の若さで亡くなっています。彼の母は時平の娘でした。
 保明親王が亡くなった翌月、祟りを恐れた朝廷は、死んだ道真を右大臣の位に復活させ、正二位を贈ります。さらに左遷したときの宣旨はみな焼き捨て、その事実を白紙に返すという念の入れようでした。しかし道真の怨霊の怒りはおさまらず、二年後の九二五年、やはり時平の娘を母に持つ慶頼王もたったの五歳で死んでしまいます。
 その五年後、有名な宮中の落雷事件が起こります。天皇の居処である清涼殿が雷に襲われ、しかも高官二人が死亡するという珍事は、平安朝はじまって以来のことでした。
この事件を境に、醍醐天皇もまた体に異常を来たしてしまい、三か月後にこの世を去ってしまうのです。
 この後も時平の長男保忠が死んだりと、道真の怨霊は猛威を振るいます。
back