■ 平 宗盛 ■
 
「公長後へ寄るかと見へしかば、首は前へぞ落ちにける」
平家物語より
 
 清盛亡き後の平家の総帥で前内大臣・平宗盛は、その子前右衛門督・清宗とともに壇ノ浦で生虜にされます。『平家物語』によれば、戦いに敗れ覚悟を決めた平家の侍や女人たちが次々と入水する中、この親子は自害しようともせずに辺りを見回しおたおたしていたので、その様子を見ていた他の平家の侍たちは情けなく思い、二人を海に突き入れたのですが、この二人は他の侍のように重い鎧もつけておらず、また泳ぎがうまかったため、二人で生き残ろうと泳いでいたところ、伊勢三郎義盛に捕らえられたとされています。
 生虜になった二人は、他の生虜と共に都の大路を引き回され(とはいえ官位が高いので車に乗ってですが)、その後鎌倉に護送されます。
 鎌倉で宗盛は頼朝に面会しますが、このとき宗盛が頼朝に対しこびへつらう態度を取ったので、その場に居並んでいた人々は、「情けない。こびへつらったところで、いまさら命が助かるはずもないのに。こういうお心をお持ちだから、生虜という恥をさらすことになったのだ」と宗盛を嘲笑したといいます。
 その後、頼朝は宗盛親子を義経に渡し、都へ向かうように命じます。都に近づいたら二人の首を切るように命じられていた義経は、近江国篠原で二人を処刑します。このときの斬手が橘公長とされていますが、この公長という人は、もとは平家相伝の家人であったのが、天下の形勢を見ていち早く源氏側に寝返ったという経歴を持っており、その公長が平家総帥・宗盛を処刑したことに対して、「世をへつらふ習といいながら、無下に情けなかりけるものかな」と皆この人を非難したとか。
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