729年に起きた「長屋王の変」という事件をご存知でしょうか?この事件を契機に、皇族の手から藤原氏へと権力が移ったとされる、重大事件。そして皮肉にも、単なる政権交代劇に終わりませんでした。
元明天皇死後、今まで皇族側にあった政治の主導権を手にしたい藤原氏は、724年、首皇子の即位を強行します。ここに藤原氏出身の母を持つ初の天皇・聖武天皇が誕生したのです。さらに聖武天皇妃で藤原氏出身の安宿媛が、待望の皇子を出産。勢いにのった藤原氏は早速この皇子を皇太子に立てますが、その翌年、あっけなく皇子は他界してしまいます。
皇族勢力を押さえるための持駒をなくした藤原氏は、そこであきらめるどころか、大胆な勝負に出ます。なんと、左大臣・長屋王(嵩市皇子の息子)とその妻で元明天皇の娘でもある吉備皇女、そしてその息子たちである4人の王を死に追いやってしまうのです。それが「長屋王の変」です。
729年2月のある日、藤原不比等の息子・藤原宇合らに率いられた兵士が突如、左大臣・長屋王の家を囲み、その二日後、彼は自殺という悲劇的な結果に追い込まれます。その後を追い吉備皇女とその息子たちも自殺したと、『続日本紀』には記述されています。
長屋王の罪状は、「ひそかに左道(異端の術)をもって国を傾けようとした」というものでした。ところがこの事件は、藤原氏による政治的殺戮だったようです。目の上のたんこぶだった長屋王と、皇位の近くにいる吉備皇女とその息子たちを消すことで、権力を完全に藤原氏の手中に収めようという陰謀だったのです。
ここで終われば、単なる政権交代劇ですが、さらにこの物語には続きがあります。
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