■ 六代 ■
 
「その後、若君、西に向かつて手を合せ、高聲に念佛十念唱へさせ給ひつつ、首を延べてぞ待たれける」 平家物語より
 
 壇ノ浦の合戦後、北条四郎時政によって、「平家の子孫と云はん人、男子においては一人も洩らさず。尋ね出したらん輩には、所望は請ふによるべし」と厳しい平孫狩りが都で行われました。
 中でも三位の中将平維盛(1158-1184)の子・六代丸は、平家の嫡流であり、年も少し長しいため、必ず見つけ出すよう鎌倉から御触れが出ていましたが、杳として居所が知れませんでした。
 時政らがあきらめかけたころ、ある女が、維盛の妻が息子と娘とともに大覚寺の北の菖蒲谷に潜んでいると密告したので、時政は喜んで、すぐに菖蒲谷を包囲します。
 武士が四方を取り囲んで、どこからも逃げようがないと知った六代丸は、「母上、ついに来るべきときがきたのです。早く行かせてください」と、潔く時政らの前に出て行き、逮捕されます。
 六代丸はこのとき12歳でありましたが、世の人の14、5歳よりも大人びて、見目姿美しく、心ざまは優であったため、敵に弱さを見せまいと押さえた袖の間からも涙が零れ落ちてしまいます。
 若君を案じた女房が、神護寺の文覚上人に泣く泣く訴えると、哀れに思った文覚上人は、若君を自分の弟子にする許可をもらうため、時政に二十日の猶予をもらって、鎌倉へ向かいます。しかし、約束の二十日が過ぎても文覚上人は戻らず、とうとう六代丸を乗せた輿は都を立ちます。
 駿河の国で六代丸は輿から降ろされます。いよいよ処刑の時が来たのです。若君は西に向かって手を合わせ、念仏を唱えながらその瞬間を待ちますが、あまりの哀れさに斬手は辞退。他の斬手を選んでいるうちに、早馬に乗った文覚上人が頼朝からの御教書をもって駆けつけ、からくも命を救われるのでした。
 しかし、文覚上人の謀反により、「維盛の子、しかもあの文覚の弟子である。頭はそっても、よもや心までは剃るまい」と、ついに齢三十にして斬首されます。こうして平家の子孫は永く絶えたと平家物語は伝えています。
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