■ 聖武天皇 ■
 
聖武天皇をおびやかした長屋王の怨霊
 
 729年に起きた「長屋王の変」から9年後、藤原氏を次々と不幸が襲います。長屋王誅殺に活躍し、以来政権を独占していた藤原四兄弟が、流行病におかされ、わずか四ヶ月のうちに立て続けに死んでいったのです。病名は喪瘡(天然痘)でした。
 もちろん病に倒れたのは藤原四兄弟だけでなく、中級官僚まで含めると十数人―。現代的にいえば、閣僚の半数以上がバタバタと死んでいったことになります。
 この異常な出来事に、人々は震え上がります。そこで人々の脳裏に上がったのが、前回紹介した長屋王一族の非業の死でした。
 聖武天皇とその妃・安宿媛(光明皇后)の恐怖はとりわけ深刻で、以来、二人は長屋王と吉備皇女の怨霊に悩まされ続けます。『続日本紀』に「皇后、寝膳安カラズ」という言葉がしばしば出てきますが、これは当時彼女が食事もとれず眠れもしないノイローゼ状態であったことを示しています。気の弱い夫の聖武に関しては、その病状はさらに深刻でした。
 聖武と光明という奈良時代の栄光の象徴ともいうべき夫妻は、現実には罪の意識にさいなまれ、おびえきった一生を過ごしたのです。
 四兄弟の死後、藤原氏はかつての団結力を失い、光明皇后はその後は子宝にも恵まれず、ノイローゼ気味になった聖武天皇に至っては、呪われた奈良を逃れて、難波・恭仁・紫香楽と次々と都を移し、さまよい続けます。
 その後、奈良に戻った聖武天皇の健康は回復せず、ついに756年、大仏の完成を見ずにその生涯を閉じました。
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