平忠度は清盛の弟であり、薩摩守に任じられていました。武勇にも秀でていましたが、和歌をたしなんで、その道の名人である藤原俊成に教えを受けていました。
いよいよ平家都落ちのとき、忠度は一度都を出たあとに密かに引き返し、俊成を訪ねます。
落人が帰ってきたといって屋敷の内は騒ぎますが、「門を開けてくれなくてもいいので、門の側まで寄って下さい。お願いがあるのです」という忠度の言葉に、俊成は門を開けて対面します。忠度は、「世の中が静まって勅撰和歌集の企画が持ち上った際は、一首でもよいので私の歌を入れてください。私は一門とともに亡びていきますが、それが唯一のお願いであります」と、日頃から書き集めておいた和歌の巻物を俊成に渡します。俊成はこれを引き受けます。忠度は喜んで、「今は浮き世に思い残すことなし」と馬に乗り西へと向かいます。そんな忠度の背中を見送りながら、俊成は涙を袖で押さえるのでした。
忠度が一の谷で討ち死にしてから三年後、俊成は勅撰和歌集・千載集を作りましたが、その中に忠度の歌を一首入れました。
ささなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山ざくらかな
ただし本人は当時朝敵であったので、俊成はその名をかくし、「よみ人知らず」として入れたのです。
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