鎌倉幕府最後の執権となった北条高時は、田楽と闘犬を異常に好み、放蕩三昧の日々を送っていました。
彼が執権になったときはまだ幼く、実権は舅の時顕や執事の長崎高資が握っていたので、成長してからも酒色におぼれ、政務をおろそかにしたのです。
高時の道楽の極めつけが闘犬でした。諸国に強い犬、珍しい犬はいないかと探し求め、ついには国税あるいは年貢として徴収しだす始末でした。また気に入った犬を献上した者には、惜しみなく褒美を与えました。
こうした闘犬狂いの高時のご機嫌を取ろうとして、諸大名や守護、御家人たちは競って珍しい犬を飼っては献上するので、鎌倉中に四、五千匹の犬が充満したといいます。
月に十二度も「犬合わせの日」が定められたといいますから、三日に一度は闘犬にうつつを抜かしていたというわけです。この高時の闘犬狂いは地方にも波及し、地頭や地侍までが闘犬に夢中になったとか。
こうしてタガが緩んでしまった鎌倉幕府ではありましたが、1333年に新田義貞が攻め込んできたときには、さすがに烈しい死闘を演じ、『太平記』にも死を覚悟した鎌倉武士の壮烈な戦いぶりが数多く紹介されています。
しかし、結局六千人の死者を出し、鎌倉幕府は滅亡。高時は東勝寺で自刃します。 |