■ 源 為朝 ■
 
 源為朝は源義朝の弟であり、頼朝の叔父にあたります。保元の乱の際、崇徳上皇方についた父・為義を助けるため、為朝は平清盛・源義朝擁する後白河天皇方と戦うことになります。
 為朝は偉丈夫で、左手は右手よりも四寸も長く、弓を引くのに適していたといいます。弓は強弓を好み、矢次は早く、弓の名手でありましたが、人を人とも思わぬところがあって、父の為義ももてあまし、鎮西(九州)へ追いやられます。ところが、わずか十三歳の少年でありながら九州の豪族を鎮圧し、十五のときには勝手に九州の総追捕使となって九州を暴れ回ります。朝廷はこのために父の為義を処分したので、申し訳なく思った為朝は、自ら処分を受けるために上京します。そうしたところに保元の乱にであい、上皇の御所・白河殿の一方の門の守備を担当することになったのです。
 少年にして九州を征服したという為朝に、人々の注目が集まります。そこで、左大臣・藤原頼長が彼に戦術を尋ねたところ、為朝は夜討ちを提案します。ところが頼長はこれを採用しませんでした。
 一方天皇方では兄・義朝の提案で夜討ちが採用され、上皇の御所を攻めます。上皇の御所では戦いを明日と勝手に決め油断しきっていたところを責められ、大いに動揺します。「なるほど、為朝の言うとおりこちらから夜討ちを仕掛ければよかった」と気がつき、頼長はあわてて為朝を昇進させますが、為朝は「敵が攻めてきているのだから、今は防戦の準備こそが大事であって、昇進など何の意味もない」と言い放って守備につきます。
 為朝の守る門にまず向かったのは、平清盛でした。ところが清盛は、わずか十八歳の為朝に恐れをなして退却してしまいます。これを見た源義朝は、代わってこの門に向かいます。
 さすがに兄には遠慮があり為朝は、兄を傷つけずに肝だけつぶしてやろうと思い、鏑矢を射ますが、その一本の矢の強さは兵を大いに動揺させます。こうした上皇方の守りの強さに義朝は戦略を変更し、焼き討ちにすることで勝利を得ます。
 こうして保元の乱は天皇方の勝利で幕を閉じますが、為朝は巧みに脱出し、斬罪を免れました。
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