鎌倉幕府を開き、日本初の武家政権を確立した源頼朝。「顔が大きくその割に身体が小さかった」といわれる頼朝ですが、その根拠は何でしょう?
『源平盛衰記』に「兵衛佐(頼朝)は布衣に襴袴を着せり、指し出でたるを見候しかば、(略)顔大きにして、丈ひくき」とあります。これが原典であるようです。
現代の感覚からいえばあまりいい格好とはいえませんが、当時は顔が大きいのは美点であり、逆に身長が大きいことは粗野に通じたようです。『盛衰記』が上に文章につづけて「容貌花美にして景体優美」と頼朝を評しているのは、頼朝本人の風貌に加え、時代的美意識も反映されているからでしょう。
頼朝の肖像として有名なものに、藤原隆信筆と伝えられる神護寺所蔵の似絵があります。歴史の教科書に必ず出ていますから、みなさん記憶にあるかと思います。
似絵は平安時代末期からかな蔵時代にかけて鎌倉時代にかけて流行したもので、その写実的描写は、直接人物を前に写生する方法によったものであり、真実味が高いといえます。
この似絵の成立は、頼朝が権大納言・右近衛大将に任ぜられた建久元年(1190)以後のものであるといわれますが、端麗・厳粛で気品のあるその容貌は、頼朝の定着されたイメージと言ってよいでしょう。 |