世阿弥はその生涯をかけて「花」、つまり観客の感動を追い求めた役者でした。『風姿花伝』『花鏡』など主要著作の署名にすべて「花」がつくのもそのことを物語っています。
しかし「花」が最も強調されるのは、義満時代とほぼ重なる『風姿花伝』の時期であり、その後、彼のコンセプトは「花」から「風」へと移り変わっていきます。「風」は舞の流動の比喩であると同時に、目に見えない時空間の比喩でもあります。晩年の世阿弥は、見た目の華やかさを排除した、心にしみじみと訴えかけるような能を求めたのです。
世阿弥の最も華やかな時期は、稚児時代でした。将軍・足利義満から寵愛を受け、さらに公家界のトップで連歌の巨匠でもある二条良基にも目をかけられます。世阿弥の「花」の源はこの時代にありました。
しかし二十二歳のときに父・観阿弥を亡くし、また義満の寵愛も犬王という別の役者へと移ると、世阿弥はナンバーツーの座に甘んじることとなります。
世阿弥が四十六歳のとき、義満は亡くなり、新将軍・足利義持が権力を握ります。晩年の義満に冷遇されていた義持は、父の政策をことごとくひっくり返し始めます。このときに犬王は失脚しますが、世阿弥はナンバーツーであったことが幸いし、生き残るのです。
義持時代、世阿弥は禅へ傾倒します。役者として老いていく肉体を痛切に意識しながら、「老い」に見合う新しい能のあり方を模索していたのです。そうして世阿弥が発見したのが、内的集中力をみなぎらせながら外面的動きを抑制する”動かない身体”でした。彼は人間を外側から描くのではなく、内側から描く方法へと進むのです。 |