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ハシムラ東郷 燐光群 座・高円寺
そんなものを舞台に上げて面白いかといえば、これがまた芝居としてはともかく、歴史に埋もれていた意外な事実が分かって全編これ興味津々なのである。
教会の見える川辺で 海市工房 下北沢・シアター711
なんともおどろおどろした話で、しゅう史奈の從來の作風とはかけ離れた印象の作品だった。
冒険王 青年団 こまばアゴラ劇場
司馬遼太郎は「街道をゆく」シリーズのなかで、しばしば旅の案内人、コーディネーターの人となりについて言及しているが、わざわざ一人のために一章をもうけているのは第三十九「ニューヨーク散歩」だけではないだろうか?よほど興味深かったのである。
『常念岳』(2,867m)に登る
結婚した相馬愛蔵と良が上田の停車場に降り立ち、そこから保福寺峠を馬で越えて松本盆地に入るところから始まる大河小説で、作者自身がそこで生まれ育ったという安曇野の情景が生き生きと描かれている。
表裏源内蛙合戦 シアターコクーン
「喜劇」というよりは「人間」というものの捉え方が蜷川と井上ではまったく違うということに原因がある。そのためにテアトル・エコーという劇団に言及する必要があった。
フユヒコ 青年座 紀伊国屋ホール
小さな旅行かばんを持った夫妻が家に戻ってくる。妻のりんはかなり怒っている様子で、居間の戸を開けると憤然として自分の部屋に駆け込むなり、ぴしゃりとふすまを閉めてしまう。
山の巨人たち 新国立劇場
ところが、コトローネのはなしにはさりげなく人生の機微に触れる言葉が折り込まれていて、それがなにとは言えないが、平幹二朗が流麗におだやかな口調でせりふ「吟じる」ものだから詩の一編を聞かされているような気がして、何となく「あれか、あるいはこのこと」をいっているのかと納得してしまうのである。
おーい幾多郎 吉祥寺シアター
しかし、ここでは肝心の西田幾多郎の「仕事」がすっぽり抜け落ちている。四高教授は分かるが、いったいこの男は何を講じているのか。二人の書生は、何者で何を教わっているのか。主人公の「公」の部分が一向に見えてこないのである。
近代能楽集「綾鼓」「弱法師」 新国立劇場
六百年前の庭掃きの老人が、かいま見た女御に接吻を望んだだろうか。違和感がある。六百年、接吻という習慣がないのにとってつけたようで気取っている。弁護士の小間使いがこんなふうに見栄を張ることは考えにくい。
「枕草子」が好き エムズスクウェアカンパニー ウッディシアター中目黒
どうも変な公演だと思っていたが、清少納言を「ブログの女王」などと見なす軽薄さ、唐突な雅楽の挿入によって啓蒙を図る性急さなど、まとまりを欠いた出し物は、森脇恵の発想で、こういう考えが浮かぶ頭は悪しき「教養主義」の権化みたいなものである。
戸惑いの日曜日 サンシャイン劇場
どたばた、はらはらさせながら大いに笑わせてくれる傑作喜劇である。まともに考えたら「ありえねー」というシチュエーションでも、とにかく強引に見せてしまうところが作家の手腕で、三谷幸喜の才能はこういう芝居にもっともよく発揮される
幕末純情伝 松竹 新橋演舞場
Motherf○cker、英語圏でよく使われる悪態だ。
劇評としてはこの一言で終わってもいいのだが、それでは身もふたもないから少しその理由を書いておくことにする。
女教師は二度犯された シアターコクーン シアターコクーン
とにもかくにも異様とも言えるテンションの高さである。阿部サダヲの歌舞伎役者ぶりは、時々完全にアッチへいってしまっていた。荒川良々の弁慶も目つきがおかしかった。他の男優陣のせりふもしぐさも甲高く激しい。
闇に咲く花 こまつ座 サザンシアター
終戦の年に二十歳だった人はすでに83歳になった。もう二度と悲惨な体験はごめんだという人たちが、まもなく絶えてしまう。体験は伝わりにくいものである。せめて劇の世界ががんばるしかないが、それでもいずれ近いうちに、我が国も外交は軍事力を背景に!という時代が来るだろう。その時のためにも、やり残している「総括」が必要なのである。
「人類館」 青年座 青年座劇場
「皆さんこんばんは、本日は我が『人類館』へようこそおいでくださいました…」
男の口上は、香具師とか呼び込みのような調子で次のようなことを蕩々と述べる。すべての人間は法の下に平等であり、その基本的人権は尊重されなければならない。いついかなる意味においても差別はいけない、それは人類普遍の原理である。
道元の冒険 シアターコクーン シアターコクーン
言うまでもなくこれは道元の評伝劇である。のはずであるが、時々現代の新興宗教の教祖らしい人物が精神科の医者とやりとりする場面が挿入され、この人物と道元が時空を超えて呼応しあうという仕掛けが施されている。
まほろば 新国立劇場 新国立劇場
四代に渡る女性たちが血の道の話をしている最中に何度か男どもの神輿が家に近づき、しかし姿を見せることなく立ち去っていく。あれは勇壮な荒ぶる男の性を表現したつもりだろうが、「ちょっと君たちには関係のないことで取り込み中」と追い払われたような恰好である。
ローゼ・ベルント 燐光群 調布市せんがわ劇場
中で展開される物語の背景には明らかに現在とは思えないおよそ古風な宗教的倫理が存在していて、いかにも『ノラ』の時代の虐げられた女性の姿が見えるのである。これでは、せっかく思いついた精肉会社も「時代」を「偽装」した道具立てにすぎなくなった。
新・徒然雑感 更新 10/18
混じりあうこと、消えること 新国立劇場 新国立劇場
「家族」は最も身近でありふれたテーマなのだが、前田の挑戦が独特なのは、その「関係性」に深く分け入って「家族」のイメージを本質において捉え直そうとしたところにある。ここに描き出されたのは、前田の感性を通して見た「家族」の「現在」である。
3on3〜喫茶店でおこる三つの物語〜 (社)日本劇団協議会 青年座劇場
全体として非常に面白い企画で、完成度も高かった。難しいことを言わない観客にとっては十二分に楽しめる芝居で、これなら地方公演にまわしても客は入りそうだ。
鳥瞰図 新国立劇場 新国立劇場
早船聡はこの劇を書く前に山本周五郎の「青べか物語」を読んだといっている。本屋の文庫本の書棚にいけば、未だに山本周五郎作品は十冊以上並んでいる。人気は衰えない。とはいえ早船のような若さでこれを読むのは珍しいことではないか?動機は知らないが、これはいいセンスだといっておきたい。
父と暮らせば こまつ座 紀伊国屋サザンシアター
しかし、それが父親でなければならない理由はなにか?竹造が真に望んでいるものは何か?という謎が実はこの劇の牽引車になっている。
オットーと呼ばれる日本人 新国立劇場 新国立劇場
あの連中なら、特高警部が日本共産党員伊藤律の転向を迫っているうち、ひょんなことから「米国帰りのおばさん」の自白を得て、そこから米国帰りの画家、宮城与徳にたどりつき・・・正体不明の電波が東京某所から発信されているのを発見、とうとう国際スパイ団の存在に気がつくなどと追う側からもスリル満点に描いて、いざ逮捕というときになって国家間の関係が絡んで渋滞しスパイ側に国外逃亡のチャンスが生まれるが寸でのところであえなく逮捕などというおまけまで付けてくれるのではないか?
ピアノの話 京楽座 新国立劇場
昭和五年、佐賀県鳥栖の小学校に日本でまだ二台目のフッペルというピアノがやってきた。児童の母親たちがお金を集めて寄贈したものだった。せめて音楽だけでも贅沢をさせてやりたいとの思いで、オルガンが当たり前だった小学校、しかも九州の片田舎の小学校にドイツの名門フッペル社製のグランドピアノを導入したのである。
僕のハーモニカ昭和史 シャボン玉座 紀伊国屋ホール
旧制麻布中学から早稲田に行ったのかと思っていたら、その間に江田島が入っていた。まさか戦争も押し詰まっていたあの時期に海軍兵学校に入るとはよほどの軍国少年だったに違いない。戦況を知るにつけ矢も楯もたまらず願書を手に入れたと当の本人もそういっていた。
出番を待ちながら 木山事務所 全労災スペースゼロ
ここの会話は、疑いから理解と尊敬、和解に至る二人の誇り高い大女優の心の軌跡が、舞台の上に浮き出てくるような理性的で的確、見事としか言いようのない言葉で綴られている。(こういうところが英国の芝居を見る一つの楽しみでもある。)
だるまさんがころんだ 燐光群 笹塚ファクトリー
何度も言うが今日的な「地雷問題」とはどんな「イメージ」も吹き飛ばすほどの「チョー現実的」な問題なのである。それを「だるまさんがころんだ」などという遊びでごましてしまった。なぜ「地雷」に関する大国の思惑を告発するという方向へ向かわなかったのか。こんなに明瞭に問題の在処が見えているというのに。
屋上庭園/動員挿話 新国立劇場 新国立劇場
主題もないのになぜ劇は成立したのかといえば、昭和二年の岸田国士にはこういう戯曲を書く必要性があったからだ。あえて言えば、この戯曲を世に問うことが彼にとっての主題だった。
人間合格 こまつ座 紀伊国屋サザンシアター
今度の場合は、少し事情が違って、大宰の評伝劇としてこれでいいのだろうかという思いが浮かんだ。前回見たときは余計な人間関係には触れないで人情喜劇のような仕上がりで安心したと思ったが、それとは正反対の印象だったというわけである。
選択−一ヶ瀬典子の場合 劇団民芸 紀伊国やサザンシアター
裁判自体は医療裁判に多く見られる結論で、さして驚くような内容を含んでいない。なぜ、そうなったかというと、一ヶ瀬典子は別に確信犯でもなければ、裁判が安楽死、尊厳死の是非を争ったものではないからだ。